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2009.11.20

創業時について

元々はホテルで宴会サービス、ベルボーイ、レストランのホールを担当していた代表の戸塚。レストランサービスに魅了され、将来いつか飲食店を出店したいと思っていた程度だったが、飲食店の出店支援を行なっており友人だった清水と話の中で意気投合。調理経験のない戸塚は前職で一緒だった千葉を誘い独立を決意。様々な人たちとの出会いに支えられながらStove‘s marketを立ち上げる。

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2009.11.24

神田 豚バル380 (現BYO)

初出店に決めたのは床屋さんの入っていた古民家を改装したバル形態!当時は380円均一という均一ワイン業態。最初は数か月大赤字。数か月で閉店の危機に晒されながら、ランチとディナーを営業し、翌朝出勤ラッシュを狙いチラシ配りという毎日。徐々に売上がついてくるも、大手居酒屋チェーンが均一業態を開始し、売上が低迷。そこで2011.6より現BYOへの業態変更。日本で初と云われたBYOシステムが大当たり。今でこそワインのお店も多い神田だが、もともとはサラリーマンの聖地で赤提灯のお店が立ち並ぶような街。もっと気軽にワインを飲めるお店を広めようと毎日悪戦苦闘。様々な苦労をしたが良き出会いもありお店が軌道に乗り、同時にワインを扱う飲食店もどんどん増えていき、気づけば今は神田はワインの街。出店テーマである「街を変える」の着想の原点はまさにここから。

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2010.10.8

大井町肉寿司

大井町肉寿司はもともと精肉店だった古い3階建物件との出会いからスタート。大井町の東小路(昔ながらの飲み屋通り)の真ん中という好立地に加えて、古くてぼろぼろだがなんとも魅力的だと感じた建物だった。工事する前は2階に行くためにハシゴを使わないといけない謎の物件だったが改装し(もちろん階段をつけて)、レトロな雰囲気×肉寿司という新業態が功を奏し、好評に。
※現在は牛タンいろ葉はなれに業態変更

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2011.10.21

蒲田魚介ビストロsasaya

「あ、蒲田行ってきて。物件出た。」の清水の一言で、戸塚が蒲田へ初上陸。当初の印象は、いわゆる夜の仕事をしている人が多く、あまり治安も良くない、居酒屋ばかりの街。ワインが飲めるようなお店はなく、確実に勝算があると思い魚介をメインとしたsasayaの出店へ。(当時深夜営業を初めて実施した店舗だったため、戸塚を筆頭に全く帰れない日々が続いた事もいまでは良い思い出である。)

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2012.11.12

田町PIZZERIA AGLIANICO

田町(特に芝浦)は、サラリーマンやOL、ファミリーが混在する珍しいエリアだが、何故かそういった方々が気軽に入れる飲食店が少なく、特にワインが気軽に飲めるようなお店がほぼなかった。それに疑問を感じ、神田豚バル出店時のノウハウや温めていたピッツェリアのアイディアを活かして出店!初の地下の店舗で大きなピザ窯がトレードマークの店内。アリアニコ出店以降、近隣におしゃれなお店が増え始めたことから「街を変える」のテーマをもっとも体現したお店はアリアニコかもしれない。」 と戸塚は語る。

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2013.7.10

大井町 かき殻荘

戸塚と清水で大井町を歩いていたところ、偶然古民家にテナント募集の張り紙をしている肉寿司の不動産屋さんに遭遇。当時肉寿司に来てくれたお客様を満席でお断りすることがしばしばあり、近所でお店をオープンしお客様を共有でき、少しでも喜んでもらいたいと考えたのがきっかけ。牡蠣という高級食材をもっとカジュアルに食べて欲しいという想いからコンセプトは“店内バーベキュー”の「かき殻荘」という新業態を開発。

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2014.11.5

浜松 かきセンター

初の浜松出店の物件はかなり地元では有名な元八百屋さん。繁華街のど真ん中で立地は最高かつ家賃(坪単価)も都内と変わらない。浜名湖では牡蠣が取れるのに、牡蠣をメインとしたお店が浜松になかったため、かき殼荘のノウハウを持ってかきセンターをOPEN。当日は問い合わせで電話回線がパンク、お店の前には長蛇の列という嬉しい非常事態が発生。営業中に電話線を抜いたのは初日の良い思い出。

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2015.5.13

大井町 牛タンいろ葉

大井町駅から徒歩1分。「とにかくすごい物件と出会ってしまった、よくウチが物件取得をできたな」というのが当時の印象。不動産会社社長の奥様が肉寿司とかき殼荘によくきてくれていたことから紹介いただき、当時のStove’sではなかなか契約できないような好条件の物件でのOPENが決定。この立地であればずっと温めてきた「牛タンいろ葉」を絶対に成功できると感じ、奇跡的な経緯でスタートさせることになる。

08,09

2015.9.4

静岡 かきセンター・肉寿司

浜松のかきセンターはおかげさまで連日満員御礼。東海地方でかなり有名になってしまったため業界大手飲食店の社長が来店し、このままでは模倣されてチェーン店化してしまう・・と危惧。その前に近隣の新幹線の主要駅である静岡への出店を決定。初の出店戦略、新築物件、複合店と初めてづくしのチャレンジングな出店となった。

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2016.10.31

大井町 豚のいろ葉

「Stove’s marketさんが好きそうな、ぼろぼろの汚い物件が出たよ笑」と肉寿司・かき殻荘の不動産屋さんから突然の電話。大井町での3店舗の認知度が高くなっていたこともあり、直接物件を紹介いただくまでに。元々は薬屋さんの物件。代表と清水は電話をもらったその足でスピード契約。牛タンいろ葉の好調ぶりから、あえて別ブランドとして素材を豚に変えてのチャレンジ。

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2017.3.17

代々木 牛タンいろ葉別邸

代々木で進化系横丁を作りたい!と思いたった清水。当時真っ暗で全く人通りのない空き家だらけのところに、焼き鳥・シャンパンなどのお店を誘致。代表は全く出店をするつもりはなく、最後の最後まで悩み、半ば、半信半疑で決意(笑)。いまでは「ほぼ新宿のれん街」の一角としてメディア掲載多数の店舗となる。ちなみに唯一の掘りごたつの店舗である。

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2017.10.30

浜松 肉寿司

浜松かきセンターが地に根付き始め、偶然、はす向かいの物件に空きが・・!静岡でのかき×肉寿司のセットの出店での成功事例があり、ここは絶対にStove’sでやるしかないと決意。繁華街のど真ん中でなかなか競合も多い中、魚介と肉という正反対な業態でお客様の共有を図る意図で出店を決意!他社が同じ肉寿司で物件の入札をしていたが、浜松かきセンターの実績を評価して頂き、弊社運営となる。
※現在は浜松牛タンいろ葉に業態変更

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2018.11.30

新宿思い出横丁 牛タンいろ葉

30年に1度、物件が出るか出ないかと云われる場所、思い出横丁で物件取得に成功。インバウト客が最も多い店舗で、初の外国語メニューを導入した店舗。オープン当初は、若干苦戦するものの、現在は毎日3階までフル稼働の店舗となっている。まだまだ伸びしろがある店舗!

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2019.10.11

大井町アガリコ餃子楼

元々はクリーニング店。豚のいろ葉の真隣に位置する。初代店長が隣のクリーニング店の方と話していると、もう閉店する予定という情報をキャッチ。すぐさま、地場の不動産屋さん(大井町の他店舗を借りてる不動産屋さん)に連絡し、Stove’s物件として他には公開しないようにしてもらう(笑)そしてStove’s market初の中華バル。FC加盟をし、女性が行きやすいよう、内装にもこだわった店。

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2019.12.16

牛タンいろ葉 国際通りのれん街

初の、沖縄県進出! そして初の「THE横丁」出店! 日本一の横丁を作ろう! と出店要請を頂き、思い切って沖縄へ! 物流に困り、人材募集に困り、初のことだらけで不安もあったが、都内社員と静岡社員の全員の協力の元、無事にオープン! 牛タンいろ葉のメニューも多少、沖縄verへリニューアル。沖縄へ遊びに行きたいかたは、いつでも上長へご相談を♪

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2020.3.13

アガリコ餃子楼 国際通りのれん街

牛タンいろ葉 国際通りのれん街に続き、同施設で沖縄県の2号店目! 施設内には多種の業態があるが、中華系がないところに目をつけ都内で運営しているアガリコ餃子楼をOPEN。地下という難しい場所ではあるが、現在は女性客が多く賑わいを見せている。

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2020.4.26

牛タンいろ葉 豚のいろ葉 ほぼ栄駅一番出口のれん街

こちらも「THE横丁」の出店。愛知県初進出!沖縄国際通りのれん街での実績を認めて頂き、こちらでも出店することに!名古屋の繁華街”錦”と”栄”を繋ぐ「THE横丁」。キッチンは1つで店舗は2つ、且つ多層階横丁という特殊な店舗のため準備から開業までなかなか大変!施設オープン前までに弊社店舗だけが工事が終わらずという珍事件も(笑)

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2021.3.22

ニューキッチンイロハ

ほぼ新宿のれん街2店舗目。解体をするのにも補強が必要なほどの歴史ある一戸建て。この建物を活かし、昔ながらの純喫茶を思わせる内装でありながら、最近ぽさも入れたピザパーラー。過去18店舗ではなかった大型テラス席。そして全席で81席の大箱店舗!

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2022.1.17

豚肉洋食俱楽部イロハ

Good market&shopsが新たにほぼ新宿のれん街倉庫別館を開業。 新たなジャンルの”甘味ツマミ”と”日本一柔らかいスペアリブ煮込み”が中心な初のネオン系肉バル。